昭和26年(1951年)には旧社名(株)那須ゴルフ倶楽部に戻り、更に昭和34年8月には社団法人の認可を受け、今日の"那須ゴルフ倶楽部"になった。世相にも、敗戦によるショックやいろいろな処理が一段落した表情があった中、日本国内ではゴルフブームの熱がにわかに高まりを見せていた。
そんな中那須は、ブームのさざ波を静かに受け止めて、確かな足どりで順調にのびていった。昭和32年(1957年)9月には、那須生え抜きの小針春芳プロ、全日本オープン優勝のニュースがクラブハウスに飛び込んだのは、会員・従業員に感動と誇りを与える印象的な出来事であった。
歩みを続ける那須は、完成度が高いコースを中心に、温泉やクラブハウスなどの施設の充実化、19番ホールでの会員同士の交流や対外親善競技を通じて伝統と文化を育み、昭和61年(1986年)に意義深い50周年を迎えた。