歴史

1945年 開場ののち、終戦まで

オープン後まもない那須には、家族会員の制度が生れていた。家族は見物するだけではなく、夫人や未成年の家族にも、プレーをさせようという趣旨であった。

しかしそんな楽しい雰囲気の根付いた那須にも、日増しに拡大する戦争の波が押し寄せた。ゴルフ入場税や日本ゴルフ協会からの自粛案通達に続いて、時代の要請もあり、倶楽部は那須山園(株)と社名を変えた。そして、コースは陸軍の療養所附属の耕作修練場にと徴用され、ゴルフコースとしての機能は失われた。

18ホールス、全コースがもと通りに再開されたのは、昭和24年(1949年)の春。それまで放置されていた、コースやら山やら分からぬ様のホールを、メンバー・従業員が希望を持って、緩やかながら明るく、そして確かに復旧してきた成果であった。

家族会員トーナメント記念撮影
焼けトタン張りの住宅

1945 終戦まで