ご挨拶
那須の山まで上がってくると、下界とはちょっと趣の違ったコースが有ります。
それがここ那須ゴルフ倶楽部です。
このような山の上にこんな広々としたコースが有るのか、と皆さん驚かれます。
見渡せば空を広く、那須岳の噴煙は直ぐそこに。
下界に目を転じれば広大な那須野が原と遥かに筑波峰のやまやま。
ひと時でも世の中の憂さを忘れ自分の時間を取り戻す、今では貴重な空間です。
この倶楽部は昭和11年に創設され、古くからのゴルファー達の永年にわたる努力と情熱のお陰で、何とか良き時代の雰囲気を守りながら今日に至っております。
ゆったりと温泉に浸かったあと、暮れなずむ頃には近隣の別荘からも人々が集まって、ロッジに滞在するゴルファーともども和気藹々と食卓を囲み、明日のプレーに話の花が咲きます。
名匠井上誠一の処女作のコース、レーモンドの手によるハウス・ロッジ、そして奥の沢からの天然温泉の組み合わせにより醸し出される絶妙なハーモニーは、訪れる多くのゴルファーに至福の時を愉しんでいただいております。
那須ゴルフ倶楽部
の歴史
1936年 那須ゴルフ倶楽部の誕生
昭和11年(1936年)7月5目、李王両殿下の始球式で、井上誠一氏の処女作、那須ゴルフ倶楽部がオープンした。
当時は現在のINコース9ホールが先に完成し、翌12年7月10日現在のOUTコース9ホールがオープンした。工事着工以来3年目、土木機械ひとつない中でのコースの造成など、様々な苦労のもと待望の全コース、18ホールスは完成をみたわけである。
コースのオープンに先立っては、前年の昭和10年(1935年)にはクラブ・ハウス、ついでささやかなロッジが開設された。これが人々の寄る辺とも、たまり場ともなり、那須の持つ、独特の和やかな雰囲気、家庭的といわれる伝統の源泉が、ここにはじまった。
1945年 開場ののち、終戦まで
オープン後まもない那須には、家族会員の制度が生れていた。家族は見物するだけではなく、夫人や未成年の家族にも、プレーをさせようという趣旨であった。
しかしそんな楽しい雰囲気の根付いた那須にも、日増しに拡大する戦争の波が押し寄せた。ゴルフ入場税や日本ゴルフ協会からの自粛案通達に続いて、時代の要請もあり、倶楽部は那須山園(株)と社名を変えた。そして、コースは陸軍の療養所附属の耕作修練場にと徴用され、ゴルフコースとしての機能は失われた。
18ホールス、全コースがもと通りに再開されたのは、昭和24年(1949年)の春。それまで放置されていた、コースやら山やら分からぬ様のホールを、メンバー・従業員が希望を持って、緩やかながら明るく、そして確かに復旧してきた成果であった。
1986年 歩みを進めて50周年
昭和26年(1951年)には旧社名(株)那須ゴルフ倶楽部に戻り、更に昭和34年8月には社団法人の認可を受け、今日の"那須ゴルフ倶楽部"になった。世相にも、敗戦によるショックやいろいろな処理が一段落した表情があった中、日本国内ではゴルフブームの熱がにわかに高まりを見せていた。
そんな中那須は、ブームのさざ波を静かに受け止めて、確かな足どりで順調にのびていった。昭和32年(1957年)9月には、那須生え抜きの小針春芳プロ、日本オープン優勝のニュースがクラブハウスに飛び込んだのは、会員・従業員に感動と誇りを与える印象的な出来事であった。
歩みを続ける那須は、完成度が高いコースを中心に、温泉やクラブハウスなどの施設の充実化、19番ホールでの会員同士の交流や対外親善競技を通じて伝統と文化を育み、昭和61年(1986年)に意義深い50周年を迎えた。
2016年 そして未来へ
開場以来、高度経済成長、バブルの崩壊、東日本大震災などを経て、時代は大きく変わった。しかしその変化の中においても、那須は常に会員・従業員の倶楽部を愛する気持ちに支えられ、今日まで辛い仕事や世の憂き事を忘れられる安らぎの場所として存在し続けてきた。
会員間の家族的な親近さという、他の倶楽部には類を見ない伝統は、倶楽部のD.N.A.を引き継ぐ青壮年世代の活発さに象徴されるように、脈々と受け継がれている。
平成28年(2016年)創立80周年をつつがなく向かえた今、那須はこのクラブライフという良き伝統を維持しながら、一方では未来を見据えて成長し続けることが求められている。壮大な景色溢れるコース、温泉、そして伝統ある家庭的なクラブライフという、心和み、喜びを感じ取られる雰囲気にめぐまれた場所として、那須はこれからも、上質のくつろぎを与え続ける。